一般的に『漢方薬』は内科・外科・婦人科・皮膚科などの治療に用いられるイメージが強いかもしれませんが、整形外科こそ『漢方薬』が得意とする分野なのです。
 しかし残念な事に、現代医療(整形外科分野)では、ほとんどの病院が西洋医学だけに頼って治療を行っているのが現状です。
 私も大学での授業や医局での研修中に、ほとんど『漢方薬』に触れる事がありませんでしたから、治療に取り入れようと思った事はありませんでした。

 ところが、葛根湯(かっこんとう)で全治した『むちうち症』(追突による交通事故)の患者さんに出会って以来、積極的に漢方薬を導入した医療を考えるようになったのです。

 それでは、その患者さんの経過を紹介したいと思います。
 私が久留米大学整形外科教室にまだ在局中で、医局の関連施設(福岡市・K病院)に勤務していた時の出来事です。その病院は国道3号線沿いにあって、交通事故の患者さんがとても多い病院でした。
 金子さん(仮名)も信号停車している時にトラックに追突されて、むち打ち症(頚椎捻挫)になり通院されている患者さんでした。
 夜中の2時頃だったでしょうか。金子さんが救急車に乗せられてK病院に運ばれて来ました。その日、たまたま私が当直だったので担当したのですが、レントゲン検査でも異常はなく、さらに痛みがそれ程無かったので軽い鎮痛剤と湿布を処方して経過を見る事にしました。

 金子さんの仕事は某有名化粧品会社の管理職の方で、昼ご飯を食べる暇を惜しんで仕事に没頭する程の真面目人間でしたので、その後は薬局で買った湿布を貼って何とか凌いでいたようです。
 ケガから2週間後に金子さんが突然外来にやってきました。てっきり調子が良くなったので病院に来られなくなったと思っていたので意外でした。診察室に入ってきた途端、「先生!ここ1週間前から首の痛みがひどいんです。時々気分が悪くなって吐く事もあります。頭痛がして眠れません。大丈夫ですか?」とその切羽詰まった姿に私の方がビックリしました。

 さらに金子さんは続けて、「最近仕事が滅茶苦茶忙しくて、家に帰るのが毎日午前様なんですよ。休みの日は何とか痛みを我慢できるんですけど・・・」と。
 ここで私は、もう少し強い消炎鎮痛剤に加えて筋弛緩剤も処方し、さらにリハビリテーション(電器治療と牽引療法)も併用する事にしました。
 本当に辛かったのでしょう。金子さんはそれから毎日通院されるようになったのです。

 さらに2週間ほど経過したある日、再び診察に来られました。今度こそ良くなったに違いないと確信して『金子さ〜ん!診察室にお入りください』と私はアナウンスしましたが、現れた金子さんの姿を見て再びビックリしました。
目の周りはクマだらけ、顔は暗い表情で地面のジーッと見つめながら診察室に入って来られました。「先生、もうダメです。一日中気分が悪いし、夜は眠れないし、うつろうつろしたと思ったら首の激痛で目が覚めるし・・・。ここ1週間は仕事を休んでます。先生、ホントに大丈夫ですか?もう死んでしまいたい・・・。」と今にも自殺するのではと感じる程、思いつめた状態でした。その後も、可能な治療はすべて投入したのですが、ケガから3ヶ月経っても金子さんの症状はびくともしませんでした。

 ここまで治らないと、本当にお手上げです。整形外科の先生ならお解りだと思いますが、交通事故の後から3ヶ月間に渡って治療しても良くならない患者さんは、同じ治療を続けても良くなった試しがありません。金子さんをこれからどうやって治療していけばいいのだろうと私は悩みに悩みました。

 ちょうどその頃、私はある事が原因で持病のギックリ腰が再発して全く動けなくなったので、仕事を休む事になったのですが、その間も金子さんの事が気になっていました。
 それから10日後、私はまだ痛む腰をかばいながらK病院に出勤しました。たまたまその日は金子さんが来院されている日でしたが、ハツラツとした表情で診察室に入って来られました。『先生!腰を痛めたとお聞きしましたけど、大丈夫ですか?私はこの通り、スッキリ良くなりました。もう大丈夫です。ご心配おかけました。』と今までとはうって変わった姿にビックリしました。
「えっ、何でそんなに良くなったんですか?」と私が問うと、すかさず金子さんは「もう一人の先生が出してくれた葛根湯(かっこんとう)を飲んだら、えらい良くなったとですよ。ありゃ〜、よー効きますなぁ〜」とバリバリの博多弁で返答してきたのです。
 非常に恥ずかしい事ですが、そのとき私は葛根湯がなぜ首の痛みに効いたのかが解りませんでした。金子さんの話に圧倒されながら、私の頭の中はただ『???????』でした。

 以前は「漢方なんて効く訳がない。昔の治療法は当てにならない。」と馬鹿にしていた私が、“漢方の虜”になった瞬間です。青天の霹靂というか頭上から冷水をかけられたような気分でした。
 「漢方なんて・・・」と否定していた自分が情けなくなり、この体験が、漢方を真剣に勉強してみようというきっかけになったのです。金子さんと出会わなかったら、おそらく漢方の道には進んでいないでしょう。今でも金子さんには感謝の気持ちを忘れないようにしています。

〜「間違いだらけ!痛みの治療」首藤孝夫著より抜粋〜